第5回「Hidaka Player’s Talk」阿部卓馬さん

みなさんこんばんは、ありがとうございます、ご紹介に預かりました、シンガーソングライターの阿部卓馬と申します。樋口さんとの出会いは、50kmウォーキングの時に、なんか歩きながらしゃべっているうちにいろいろお話するようになって、それで声掛けて下さって、どうもありがとうございます。短い間ですけどもボクの話にお付き合い頂ければと思います。こういった内容でお話を進めていきたいと思っていますが、まずは行ってみましょう、まず最初は「二刀流シンガーソングライター」ということで、お話していきますけども、まずこちら御覧ください。シンガーソングライター阿部卓馬ということで、最初にお聞きしたいんですけども、ボクの歌ってる姿、ライブとかね、お祭りとかイベントで見たことあるって方どうぞ手を上げて下さい。あーすごい、ありがとうございます。だいたい68.2%の方が挙手頂いてたんですけども、シンガーソングライターとして活動しておりまして、昭和53年1月7日生まれの40歳でございます。新ひだか町は三石の本町出身でございまして、三石小学校、三石第一中学校を卒業しました。そして札幌光星高校在学中よりギターを始め、北大工学部に進学後、なんか書いてますけど、これは後ほど詳しく説明いたします。そして2008年より新ひだか町に拠点を移し地元に根ざした活動を行っていると。そして昨年2017年ですけども新ひだか町のサポート大使に認定して頂きました。ホントにありがとうございます。

活動の現場をちょっと写真でお送りしたいんですけども、その前にCDの話しなきゃ。まずこのCD「A Part of your Life」という11曲入りのファーストアルバムを2004年にリリースさせて頂きました。今からだいたい15年近く前、11曲入ってます。このジャケット写真ですけども実はこれ三石の浜なんですね、三石川の河口のあたりにある浜で撮影した、そこになんか落ちてたタイヤに座っている、これボクですけども黒くてわからないですけど、これを最初に発売しました。そして最近のCDはみなさんもお聞き頂いたかと思いますけども、一昨年9月に発売した「野に咲く花として」、こちらは作詞に鳥井実先生という演歌界の大変大御所の先生でいらっしゃいまして、こちらの鳥井先生、新ひだか町の三石ご出身でございまして、ボクも出身一緒なんですごい世代を超えたコラボレーションということで発売させて頂きました。そして昨年の3月ですけども「太陽の瞳」というCDを発売させて頂きました。ちょうど1周年となりまして、たくさんの方に愛されている曲でございます。そしてこちらの曲ですけども、ドン!なんと通信カラオケDAMで歌うことができます。そちらのカラオケの「まねきねこ」とかでDAMを選んで阿部卓馬と検索してガンガン歌って頂ければと、そう思います。

 

ではさきほど言いました、活動の現場へ行ってみましょう。こちらなんですけども昨年の12月に三石の新しくできました「はまなすホール」というところで行われました「僕のふるさとコンサートin新ひだか町」ということで、400名ほどね、大勢の方に来て下さいまして、開催することができました。その時にご協力頂いた方々どうもありがとうございました。こちらがバンド演奏の様子ですけども、続いてこちらが地元の小学生子供たちと一緒にダンスをしてもらって「太陽の瞳」を歌ってる映像ですね。実は子供たちも「自分たちもやりたいやりたい」って積極的に参加してくれたのがほんとに嬉しかったです。今後は、また地元の中学生とか高校生とかともコラボレーションいつかできたらなとか思ってますけどね。

じゃあ次行ってみましょう。こちらは三石の漁港花火大会、お祭りですね、花火大会のイベントで歌ってる様子で、結構昔でメガネかけて歌ってますけども、こういうイベントでも活動しております。

こちらは「デイサービスセンターみついし」というところでおじいちゃんおばあちゃんが利用しているところなんですけども、そこで慰問活動として歌わせて頂いています。昔の曲とかを歌ったりしてそれを聞いて涙ぐみながら聞いて下さる方もいますし、こういう活動もこれからどんどん続けていきたいと思ってます。

こちらはラジオ出演の様子なんですけども、だいぶ真っ黒に日焼けしてるんでこれ多分夏場の映像だと思いますけども、こういうラジオ出演も積極的に行っております。そして次、こっちはテレビの取材ですね、昨年6月になりますけどUHBの「みんなのテレビ」という番組でボクの活動を特集して下さいまして、7分ほどの特集を組んで下さいまして、全道の方に見て頂きました。

 

そしてもう一つの顔ですけども、シンガーソングファーマー阿部卓馬ということで、こちらミニトマトのハウスで撮った写真でございますけども、2008年より作業員として働いております。友人の酪農家の牧場でも搾乳とか牧草運びとかも手伝ったりしてるんです。その様子を見てみましょう。まずこちらの写真ですけども、こちらがボクですね、こちら左側にいるのがボクの勤めている農園の代表でボクの友人でもございます、神垣進君でございます、今日も来てくれてありがとうございます。この2人で一緒に頑張っております。そしてミニトマトの作業全般は手伝っているんですけども、こうやってハウスの中をトラクターで起こしたりとかそういう作業とかも手伝っています。水やったりとかそういった管理の面もサポートしております。

そして次は、地元の小学生のミニトマト収穫体験の様子ですね。ミニトマトをどうやって採るのか教えたりとか多分してると思います。そしてその収穫体験が終わった後には交流会というか、ボクがその場で歌って「太陽の瞳」をみんなで歌ったりとかして、交流を深めております。そして次行ってみましょう、こちらはさきほど言いました友人の酪農家岡本牧場の代表で岡本勇志君でございます。今日来て下さいましてありがとうございます。いい笑顔でで映ってますけども、彼の朝晩の搾乳とかですね牧草運びとかを手伝ったりしております。その様子がこちら、ね、ちょっと笑ってますけども、こうやって搾乳作業、今は牛のおっぱいを拭いているところでございますけどもね、こうやって後ろ足の至近距離な状況なんでね、たまにガッツリ蹴られたりもするんですけど、そういうときはうまく交わして頑張っております。

ということで酪農も含めますと三刀流かもしれませんけど農業と歌の活動で二刀流シンガーソングライターとして活動しております。

 

二番目は「音楽との出会いと苦悩」です。音楽との出会いは、札幌光星高校1年生という時ということで、ボクはこうやって新ひだか町三石出身でございますんで、札幌に行くんですね、高校から。そうなると寮生活か下宿生活ってことになるんですけど、ボクは寮生活3年間寮生活をしました。その寮生活の友達にあるテープを貸してもらって聞いたんです。そのテープがこちら「長渕剛ライブ」というそのテープに非常に衝撃を受けました。まあ今ではねすごい筋肉すごくて、「せい!」みたいな感じのあれですけども、昔の長渕さんはぜんぜん違うんです。すごい細身で長髪で、すごい美しい声で歌われたこの最初の「長渕剛ライブ」、初期の頃のものなんですけども、これがホントにかっこよくて、こういう弾き語りやってみたいなと思ってギターを始めるわけです。高校一年生の時。そしてギターを始めるとやっぱり自分の曲っていうのを作ってみたくなるもんで、高校3年生の時からオリジナルソングを作り始めるわけですね。まあ作ったと言ってもせいぜい寮の友達にポロンポロンと聞かせるくらいですけども、作り始めました。

こちらSTVラジオ「アタックヤング『ファンの集い』」で、とありますけど。寮生活、テレビがありません、部屋とかにね。なんで娯楽といえばラジオになるわけですね、ボクはSTVラジオの「アタックヤング」という番組がすごい大好きで、調べたらもう終わっちゃってるみたいですね、今やってないみたいなんですけど、その当時いろんなパーソナリティいましたよね、水曜日がKANさん「愛は勝つ」のKANさんとか、山崎まさよしさんもやってたんです、この「アタックヤング」という番組。まったくデビューした直後なんで売れる前ですね。まったく初期の頃なんですけども、山崎まさよしさん弾き語りでギターとかやってたんで、めちゃくちゃファンになって売れる前からファンになって、だんだんメジャーになっていくうちにボクも離れてったんですけど、あと明石英一郎さん今ではね、昼間はかっこよくニュース読んでますけど、これは深夜放送なんで、めちゃくちゃ馬鹿な話とかエロいトークとかもするんですね、明石さんね、それが面白くてボクもはがきを書いて何回か読まれたことがあります。「アタックヤング」の方でね。

その「アタックヤング」という番組の中で「ファンの集い」というのがありまして、リスナーが集まっていろいろ楽しいことしようっていうのが「ファンの集い」なんですけども。その中で一発芸をやりましょうということで募集があったんですね。それでボクが一発芸やろうと思って桑田佳祐さんのモノマネで出たいと思って、カセットテープに弾き語りで「いとしのエリー」を録音して送ろうと思ってやったら、カセットテープはA面B面ありますから、裏面にその当時やってたオリジナルソングを入れて送ったわけです。そしてしばらくしたら寮の方にSTVから電話がかかってきました。「おー、来た」と思って。それで「これで桑田佳祐のモノマネ出れる」と思って、楽しみに電話に出たんですけど、「出て下さい」「あー、やったやった」と思って。で、なんか「裏面のオリジナルソングで出てくれ」っていう風に言われて、それ聞いてボクショック受けたんですね、「あれ?なんで桑田佳祐のモノマネじゃないんですか?なんで桑田佳祐、似てなかったですか?」って聞き返したんですけど、「まあー、普通」って言われ、「普通」って言われ、あーそれですごいショック受けたんですけど、ああ出れるからなんとかオリジナルの方で出ましょうねということで出たんです。でも後から振り返ってみて、STVといえば放送局、業界の人じゃないですか、その人が「オリジナルソングいい」って言ってくれたっていうのはちょっとボクももしかしたら自分作った歌って行けるんじゃないかって勘違いを起こして、シンガーソングライターの道が始まったわけでございます。

もしSTVの方が「桑田佳祐のモノマネすごい似てるよ、それで頑張って」、って言われたら今頃もしかしたらモノマネ芸人として活動してたかもしれないという、わからないですけどね、それでシンガーソングライターの道に入ったわけですね。

 

さあここで、もう一度振り返りましょう。「輝かしい?学歴、経歴」ということで行ってみましょう。

ボクは札幌光星高校特待生ということで合格しました。特待生っていうのは、なんと学費が免除、私立高校なんですけど、学費が免除、そして寮費も免除、ほとんど免除なんです。食費だけ払って学校に行くってタイプなんですけど、それで特待生合格、だからもしボクが札幌に住んでるんだったら札幌北高とか南高に入るレベルじゃないと受かりません。ちょっと自慢話みたいになってるんですけどここはちょっと我慢していい頂ければ、そしてその次、北海道大学工学部工学部現役合格ということで。北海道出身の方で北海道の最高学府といえば北大。今ではどうなのかわからないですけどやっぱり、大学って言ったら北大か東大みたいな。他の大学は余り知らないみたいな。「大阪大に入りました」って言ってももあまりピンとこないんですよね、結構すごいんですけど、そういうのがあります。その後は、一部上場の企業のグループ会社に入社という、もうこれだけ見たら、この人すごいいい人生歩んでるんでしょうね、みたいな感じがしますけども、実はボクは性格に問題があったわけです。

 

行ってみましょう。ボクの子供の頃の性格は、大人しくて人の意見には従う素直な子で、「いいねいいね」みたいな感じなんですけど、これは一見良さそうに見えるんですけども実は、悪く言えば他人の顔色を浮かがう自己主張のない優柔不断の性格とも言えるんですね。これ言ってること同じことなんですけども、なのでボクは自分の意見が人に言えなくて、他の人の意見を尊重してしまうっていう性格だったんですね。これをさらに踏み混んでいくと、臆病、ビビリ、もっといえばヘタレみたいな、こういう性格だったんですね、実は。勇気がない性格でございます。でもそういう状況でも人間っていうのは面白いもので、それでも心の何処かには自分のやりたいことっていうのはあるんです、みんな。全くないっていう人多分いないです、心の奥底にはどこかに「こうしたいな、ああしたいな」って思うことがあるんです。それでもう一度戻ってみましょう。「輝かしい?学歴、経歴」ということで特待生合格、これ中学校の時に面接っていうもんがありますけど、面接というか面談、進路相談みたいなのがありますけど、その時にボクはあまりどこへ行くか考えてなかったんです、高校ね。それでまあ普通に行けば静内高校に入るんだろうなみたいな、ぐらいにしか考えてなかったんですが、そこに先生に言われた言葉がこちら「お前の学力なら特待生で行けるから受けなさい」と言われました。ボクはあまり考えてなかったんで、ああそうなんだと思って「はいわかりました、受けます」と言って、だから自分でここ行きたいって選んだ高校じゃないんです。札幌光星高校ってのは。ここ行きたいって高校じゃなかったんです。まあそんな感じで高校行きましたけど。そして大学受験の時になりました。また面談があります、先生とね。それでボクは高校生の時に学校の先生になりたかったんです、中学校の先生、数学を教える先生になりたかったですね。それで面談のときに、「先生、あの、中学校の先生になりたい」ってね。それであの当時の模試とかで教育大学とかの判定とかも出してたんで「中学校の先生になりたいんですよ」って言った時に先生に言われた言葉がこちら。「特待生なら最低でも北大に入りなさい」って言われて。あの、これはなぜかと言うと、私立高校ですから、どこどこの大学に入ったっていうのがすごい評判になるんですね、だから本当だったら東京大学とか東京大学の医学部とかに入ってくれればありがたいんですけども、「最低でも北大には入りなさいよ」ということを言われたんですね。ボクは先生になりたかったんですけど言った言葉が「はい、わかりました」。そこで先生はフォローか何か知らないですけど、理系の学部に行けば教職の免許が取れるって話をしてたんですね、それに乗せられて「ああ、わかりました」。理系ならどこでもいいから工学部にしてしまったんですけども、実はこれが罠で、当時ボクが入ったときはその課程が変わってまして、工学部からは工業科の先生にしかなれない、高校の工業科の先生にしかなれないっていう風なことを入ってからわかったんです、実は。それでショック受けまして、先生にもなれないしどうしようどうしようって。ここでだから理学部数学科にすればよかったです、それだったら大丈夫だったんですけど、ヘタレなんで落ちるかもしれないし、というのが働きまして、それを受けられなかった。結構難しいんです、理学部になると。そしてそんな大学生活なんですけどもまあ音楽活動も始めてましたんで、それでいろいろやってくうちに卒業になりますけども、まあさてどうする?卒業と同時にプロでメジャーデビューみたいな感じの、自分でやりたいと思ってもできるもんじゃありませんので、それで、どうしようどうしようということでとりあえず働かなきゃいけないということで、一般の企業を受けることになりました。だからこの会社もボクが「ここに行きたいんだ」って選んだ会社じゃなかったです。今言ったら申し訳ないんですが。とりあえず大学で勉強したことを活かせる会社。大学ではソフトウェアをちょっとやってたもんですからソフトウェア開発に関わるような会社を選んだわけです。就職活動も2社目で決めてしまいました。あんまりちゃんと活動してなかったですね。さあそして会社に入ります。就職後も音楽活動を続けてました。ただ会社の人には音楽活動していることを黙ってました、ボクは。それはなんでかというと新入社員としてこれから頑張りましょう、会社の仕事頑張りましょうという時に、実は裏で本格的に音楽活動やってますということは言えなかったですね。じゃあどっちなんだという話になってしまうんですね。結局黙ってたんですね、ボクは。そしたら、とある平日のことです。ボクは札幌のライブハウスとかでライブやってたんですけども、たまたま水曜日にライブ入れてたんですね、水曜日の8時位から、8時スタート。その日は定時に帰ってライブの準備して、ライブ行きましょう、みたいに考えてたんですけども、その日の夕方に取引先からすごいトラブルの連絡が入りまして、ボクの部署の人たちはすぐにこれは対応しないと、残業も仕方ないみたいな感じで対応し始めたんですけども、ボクはその日ライブ入れてたんで、これなんとか帰らなきゃいけない、でも黙ってたんで、そういうことも言えないっていう状況になりまして、それで、かと言ってライブもすっぽかすこともできないっていう板挟みの状況で、それで「すいません今日は、もうちょっと今日はホントにすいません」みたいな感じで会社を後にしました。もちろんその日のライブはそういう後ろめたい気持ちもあったりしてちゃんと歌えるはずもなく、あんまりいいライブではなかったですね。だからそういったことを繰り返していくうちにどちらも中途半端になって、精神だけが蝕まれていったんです。でその後、まあ抑うつ状態になりまして、もうこっちもダメあっちもダメってなったら、ボクもなんか生きてる価値がないんじゃないかみたいな考え方に囚われて、ホントにダメになってしまいました。

 

それで次の転機となった「太陽の瞳」と「のど自慢」ということでお話します。

時間は、あー!もうこんなに・・・ちょっと急いで話しますけども。

仕事まあ辞めました。うつになりまして。それで2008年新ひだか町に戻ってミニトマトの農作業の仕事を始めるんですけども、ここでちょっと恥ずかしい話なんですが、この仕事始めてからも、新ひだか町のミニトマトが「太陽の瞳」という名前でブランド化されてるのは全然知らなかったです。大変申し訳ありません。

そうやって農作業始めるんですけども対人関係が少ないです。農業の社長とパートさんくらいしか付き合いがありませんので、それでトマトはしゃべらないですから、非常に精神的に楽、楽な仕事でした。それで回復し始めます。そして次に「生涯の友人との出会い」ということで、たまたまなのか必然なのかわからないですけども、ボクの行った新ひだか町静内の東別という地域にはボクと同い年で農業を頑張ってる人がたくさんいたんですね。その場所を通じて付き合うようになりまして、それでいろいろお話しているうちに「実はボクは昔、音楽やってました」ってことも話したりするようになったんです。そしたらそこにとっても興味を持って下さって、「おお歌って、歌ってよ」って言うから飲み会とかでもバンバン歌ったりするようになって、また歌の活動も始めるようになりました。ここにも書いてますけども音楽活動のことも理解を示してくれ、仕事も合わせて全面的に協力してくれるということで、これがさっきの仕事の状況と全く違うんですね、さっきの会社自体はですね、全然話してなかったんでそういうことにもなりようもなかったんですけども、オープンにボクの活動を展開していくことができるという状況になったんです。そしてその友人からですね、「『太陽の瞳』のテーマソングを作ってみない?」と頼まれました。ボク自身もミニトマトの作業をしてましたんで、こんな感じのテーマソングがあったらいいなと思って、パッと半日で作りました。その歌をライブ会場とか、お祭り会場で少しずつやってくと、じわじわと人気になっていったんですね。またうれしかったのが、小さい子供たち、下は3歳位から小学生くらいまでなんすけども、子供たちがすぐに覚えて楽しく歌ってくれるようになりました。

そしてそのことで自分の作った歌で喜んでもらえることを改めて実感したんですね。それまではちょっと自信がなかったというか、ホントにボクの歌でいいのかなみたいな感じで自信なかったんですけども、こういう活動を通して自信を少しずつ取り戻していったわけでございます。

しかしボクがその当時新ひだか町内はもとより全国でも全く無名のシンガーソングライターでございまして、個人で活動するにも限界があるというところでまた躓いていくんですね。確かに個人でやってる方もいるんですけども、音楽活動を展開していくにはホントにいろんな作業があります。営業活動にしてもライブのブッキングとか、CD制作、その手配とか場所とかいろんなものがあって、非常に個人で大きくやってくのは大変なことなんですね。それで先の見えない不安に囚われて、悶々としてしまうわけですね。こういう状態になってくるとやっぱり歌も楽しくなくなってきてしまいます、残念ながら。ボクはこういう性格の癖があるというのもあるんですけどね。

そこで初心に帰ってまた歌、歌いたいなという気持ちがどっかで湧いてくるんです。そこできましたドン!「NHKのど自慢 浦河大会」、ご覧になった方いらっしゃいますか?ありがとうございます。

もう2年半くらい前になりますけども、友人のススメで、ダメもとで応募してみました。予選会で思いっきり歌って、また気分を変えれればいいなと思ったんですけど、応募曲が当時のゲストでもあります松山千春さんの「君のために作った歌」という歌で挑戦しました。これがなんと予選突破して全国放送出演ということになりました。ここで言っときますけどね、ボクはそれまでプロ活動っていうことでもあったんですけど、プロは出ちゃダメなんじゃないかという意見も結構あったんですけど、実はNHKの規約を調べてみますと、すべてがその限りではないと。おそらく線引きとしては一回メジャーデビューしたことがあるとか現在メジャーデビューで活動している人を出してはいけないみたいなそういうラインだと思います。だから地方で小さく活動している人はその限りではないという感じで勝手に受け止めたんですけどね、一応大丈夫ということでございます。

 

さあ、行ってみましょう。これがその時の写真でございます。歌ってますね~。動かないですけどね。あ、熱唱してますね~ほんとにね。

そしてなんと合格してしまいました。ホントにね、ありがとうございます。ホントにどうもありがとうございます。千春さん、松山千春さんと抱き合う姿でございますけども、ホントに夢のような時間でございましたけど。さあこののど自慢で得たもの。ということで、行ってみたいと思いますけど、共演者やご覧頂いた方など、たくさんの新しい出会いがありました。またこの時の共演者の方が非常に楽しい人ばっかりで面白い人ばっかりで、こののど自慢が終わった後も一緒にみんなで集まって飲み会とかカラオケ行ったりとかして、またカラオケ行ったらみんな歌がうまいからね、また自分歌わなくてもすごい楽しいんですね、聞いてるだけでも楽しいような。そして今でも交流ありますし、ボクの活動もとても応援して下さってます。また嬉しかったのが昔の人、昔会った人がテレビ見て「見たよ」って言って下さって、それでまた改めてご縁するとかそういうこともうれしいことでございました。そして次先程も言いましたけども歌うことってこんなに楽しいんだって、そういうのをのど自慢で取り戻させてもらいました。

そして出会いが繋がって全国展開できる音楽事務所ということで、今所属している札幌のフロムサウンズというところからいろいろ音楽活動をできるようになりました。そうすることでシンガーソングライターとしても可能性が大きく広がったわけですね。

 

そして最後、「大雪災害とこれから」。皆さんも記憶に新しいかと思いますけども2月5日6日、北海道日高地方の大雪災害がありました。これが最初の写真です。これが町のページから拝借したものですけども、もちろんボクの勤めている農園でもハウスが倒壊しました。こちら夜でちょっとわかりづらいかもしれないですけども、多分倒壊した直後でうちの神垣君が撮った写真だと思います。潰れてます。この次はですね、こちらも潰れてますけども、実はこれ緑の見えますけども、これはレタスのベッドなんですね。だからこれから後2、3日でレタスを定植しようと思った時に潰れてしまって、もう全部植えられない状況になりました。苗もなげることになりました。

そして災害の状況ですけど日高管内では450棟以上のハウスが倒壊、新ひだか町だけでも10億円以上の被害でございます。現在でも大雪、浜の方より山の方がやっぱりすごい雪多いんで、今でも膝くらい、今日だいぶ暖かいんで解けましたけど、膝近くくらいまで残ったりして、なかなか復旧作業も進んでいません。

そんな大雪災害復旧寄付金を町では募集しておりまして、こちらのHP、こちらが「ふるさとチョイス」というふるさと納税が行えるサイトなんですけども、そこの新ひだか町のところで、災害支援を受け付けております。昨日の段階でなんと110万円まで来ました。これ今朝の道新にも取り上げられていましたけども、こちら、ただ先程も言いましたけども10億円以上の災害ですからまだまだ足りないという状況ですので、みなさん寄付の方もよろしくお願いします。そして新ひだか町ではボランティアも募集しているというのはどっかで見たことあると思うんですけども、今週の17日からボランティアが始まりますんで、もし行ける方は是非行って頂ければと思います。

そして、大雪災害復旧支援チャリティーライブということで今月3月17日土曜日場所はバーカバチというところでやります。2,000円のワンドリンク付きで入場料から町の窓口の方に寄付金として送る予定ですんで、ぜひお越し頂ければと思いますけども。こちらの写真は右がボクで左が花男さんというシンガーソングライターで、この方も小樽の方なんですがこちらの大雪災害のチャリティーに大変ご協力頂いております。

そして、なんと復旧応援ソングもこの日発表する予定です。予定です。まだ鋭意製作中、もうだいたいいいとこまで出来てるんで、なんで是非こちらもお楽しみに。頑張って当日まで仕上げますんで。是非お越し頂ければと思います。

そして最後にこれからですけども、なんと4月よりFMラジオ、スタートします。今までボクの冠というかボクの名前でラジオ番組持ったことないんですけども、何と4月からボクの番組がスタートします。詳細はボクのブログの方に分かり次第アップしたいと思いますんで是非これはお楽しみにということです。そして次、ニューシングル「愛の花~デルフィニウム~/こんぶマンソング」をリリースする予定でございます。これは昨年12月にコンサートで発表した曲なんですけども、今ちょっとハウスの災害もありまして、いろいろバタバタしておりましたんで、ある程度落ち着いた時にリリースしていきたいなと。ご存じない方にお話しますけども、新ひだか町三石の名産のお花でございまして、デルフィニウム、青いすごい綺麗なお花でございますけど。そして次、もちろん先程のライブ活動の他にも他の歌手の方に曲提供もやっていきたいと思っております。

 

そしてまとめとしてボク言いたかったのは、自分を信じでやりたいと思うことはやってみようということで、ボクは子供の頃からこうしたいのに「すいません、やりません」とか、そういう状況が多かったんで、これからもやっぱり自分を信じてやりたいなと思ったことはすぐやれるようにということを考えています。みなさんもそうして頂ければと思います。そしてたった一枚のハガキがつないだ人生ということで、のど自慢ははがきの応募です。もしはがきの段階で落選していたらこの後の展開もまったくなかったんですね。そう考えるとホントに紙一重というか、人生というのは面白いものだなと感じます。多分皆さんもそういう経験あったり、これからもしかしたら何かあるかもしれない。ほんのちょっとしたところから始まる何かというものが、もしかしたらあるかもしれません。そして大雪災害復興へ支援をよろしくお願いします。ご清聴ありがとうございました、今後とも応援よろしくお願いします。ありがとうございました。

 

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