第3回「Hidaka Player’s Talk」村上進治さん

「Hidaka Player’s Talk」ということなんですけど、私生まれも育ちも北海道ではなく山口県下関出身で、馬とは縁もゆかりもないところで育ち、よく色んな人に言われる「なんでわざわざ北海道に来て馬やってんのよ」と。言われるんですけれどその辺は、私の人となりをわかっていただくのに、少々自己紹介と言うか振り返らせていただきたいと思います。

 

同じことになりますが、私は山口県の下関の育ちで、親父は内装業をやっていました。正直家庭も割と裕福なところで過ごさせていただいてんで何の苦労もなく育たたせていただきまして、高校大学と、水産系の大学に行きました。さっき山崎さんおっしゃった海の狩猟的なことを勉強して漁業育成団体みたいな資格を持っていて漁師さんのアドバイスをできる資格を持っているという変わった馬屋さんです。

木村さんは剣道やってたと言ってましたけど、私は中高大と一貫して柔道をやっていました。やっぱりこういう木村さんもおっしゃったように長く続けられるものがあるということは、やっぱりそれが何かのものにすぐに役立つというわけじゃないかもしれませんけど、自分という人間を高める上ではすごくいいことだなと思います。そういう感じなんでこういう体になってます。

 

「リアルダビスタ・リアルウイポ実践しながら夢を叶えるべく日々奮闘中」と書いてますけど、人間ね、諦めたらそこで終わりだと思ってて、僕も本当はプロレスラーになりたかったんですけど、ご覧のとおり小さいもんで「これはなれねえぞ」と、このまんまじゃプロレスラーなれないなという挫折を味わいまして、体小さいことを活かして何かできないかと思った時に、地元に下関競艇場がありまして、競艇選手いいじゃねえか、競艇選手をちょっと目指したんですけど、その時もまた今度視力で何回も受験したんですけど帰らされまして、またここで人生2度目の挫折を味わいます。この体小さいから何かできねぇかなと思った時に今だいぶふくよかになったんですけど、昔スリムのイケメンだったので、今度ジョッキーとかどうだ、馬乗れるようになったらまたそれはそれで自分の欠点を補う長所になるんじゃなかろうかと思いまして、一念発起し、大学中退して2年トヨタで働き、お金を貯めて北海道に来ました

そこで競馬場、最初のうちは牧場で働いて門別競馬場の厩舎で使わせてもらいまして、やっぱりそこの主催書の方も「ちっちゃいんだからジョッキーになれよ」と言われたんですけど、僕どんなに頑張って痩せても51キロから痩せられないんですよね、ジョッキーやるんだったら46キロ位、もう5キロ、この5キロの壁がなかなか切れず、それでまた人生何度目か忘れちゃうくらいの壁にぶつかりまして、厩務員に専念することになりました。

やっぱりでも自分が好きなことじゃなきゃ続かない質なんで、厩務員の時仕事朝2時からなので拘束時間9時くらいまででほとんど仕事が恋人状態の日々を送ってきましたけど、それでも自分が好きで北海道に来て選んだことなので、飽きることなく続けていけました。

そんな中である人の言葉で「村上くんちょっと外出て自分のことやってみたらどうだ」という後押しがあり、競馬場を出て育成牧場などを転々として修行して、そしてその中で一つのきっかけを頂き、最初預託頭数3頭です。3頭だけでその時女房も子どももいましたから、最初普通だったら3頭だけしか預かれないのに起業は出来ないですけど、リアルダビスタ・リアルウイポを目指そうと思ったら、それこそどこから一念発起して起業しないことには何も始まらないと元々思っていましたので、女房に「今まで以上に貧乏な暮らしするかもしんねえけど、どう?やってもいいかな?」と言ったら「そのためにわざわざ北海道に来たんだから、Youやっちゃいなよ」と、Youやっちゃいなよと言われたから「Meやっちゃうよ」みたいなので初めたんですけど、まあ最初苦労多かったんですね、ボク場長とか厩舎長とかなんの役職もキャリアもなく、いきなりポッとたまたま3頭預かったことから起業したので、お客さんも誰も知らなかったんで、ちょっと知った人も周りの人も「誰だどこのやつよ」と言われたら「山口から来ました」「お前物好きだな」終了!みたいな、なにも営業できません。そこで思ったのが身体一つ自分のところで預けていただいている3頭を一生懸命面倒見た後は、おかげさまで体小さいから馬乗ることは覚えることが出来たんで、ヘルメット被ってステッキ振り回しながら「乗る馬はおらんかね」と、ドサ回りしましてそこで小遣いを稼ぎ、顔を広げ「あいつやらせりゃなんだかんだたいがいのやつこなしてくれるな」ってなってくると今度は同業者からの仕事をいただけるようになりました。

「うちの厩舎いっぱいだからよ、お前のところ何頭か置けねえか」と言われると「ありがとうございます、なんでもやります」、「ちょっとうるせえけどめんどくせえけどやらねえか」「なんでもやります、なんでもやります」とやっていくうちに3頭から始めた牧場が今、今年の11月1日で丸6周年迎えまして現在種馬6頭、繁殖牝馬が35頭それに当歳という所謂子供がつき、育成馬の1歳とか2歳とかというような、後乗馬とかポニーとか色々いるんですけど、この6年で120頭面倒見るまでにならしていただきました。

それもひとえに周りの皆さんの支えがあってだとは思うんですけど、じゃあ何で6年でここまでこれたというのが、自分がまず思うところで、やっぱり人間好きなこと、ボクだけなのかな、わからないけど、好きなことをやっていないと、それが辛いことでも好きなことやってると幸せなんだなと。長く続けられるし、自分が幸せだなと思っていれば周りの人たちも楽しい雰囲気で幸せになれるんじゃないかなと、ボクの牧場のコンセプトがまずそれなんで、とりあえず人も馬もハッピーで、楽しく暮らせる牧場ですね、それもホームページに書いていますので、それをボクはずっと仕事以外のことでも人付き合いなんかでガキの頃からそれをずっと念頭に置いて来ました。

今日は親父からも「お前、へらへらしてニコニコしてれば割とそれで周りが楽しくなるからそのまんまでいいんじゃねぇの」と言われたこともありますし、それでやってきてずっとうまくいってるんで、それでやっていこうかなって思い、今に至ってます。

ここまでがだいぶ長くなりましたが自己紹介的なものでして、リアルダビスタ、リアルウイポって書いてますけど、ダビスタ=ダービースタリオンとかウィニングポストという競馬のゲームご存じの方おられますか?案外少ないと、自分だけがメジャーだと思っていたと。まあそれを略してリアルダビスタ・リアルウイポと言いましたがピンとこないんで、簡単にゲームの内容を簡単に説明させていただきますと、自分で好きな種馬と好きな繁殖牝馬を掛け合わせてその生まれた子供を自分で育てて競馬で活躍させるというのが、このゲームの大筋の流れなんですけど、それをただ人から預かって馬を育てて競馬場に送り出すだけだと、本当に短いおつきあいなんですよね、お馬さんと。その馬は競馬で走って休養で帰ってくる子もいますけど、基本的に1歳の秋口に預かって2月の春に送り出したら基本的にそこでさよならなんですけど、それもちょっと寂しいなというのもありまして、自分でそうだな、このゲーム、結構自分やってたら世界のG1総なめしたからこれ本当に自分が好きなやつ掛けたら世界狙えるんじゃないか、まあそこまで簡単には考えていませんでしたけど、それをやりたいなっていうのを、牧場をはじめたくらいの頃に思い出しました、そうなってくると最初そういうことを言うと周りの先輩方はつらい経験のほうが多いんで、まああんまりオススメはされなかったですし、やっぱり最初はうまくいかないですし、辛い思いを、言ってみれば馬も事故があると死んじゃうお馬さんが出てきたりして辛い思いをしてきましたけど、その中でやっぱり結構大きく育ってきて周りの人に評価され、それが競走馬になっていく過程を一から自分でやるという環境にようやく今なってきたのが、今自分が夢と野望を叶えれる第一歩になったんじゃないかなと思って頑張ってます。

 

そのリアルダビスタ・リアルウイポをやるにあたり一番最初の段階というと種付けですけど、種馬と繁殖牝馬を掛け合わせるんですけど、この中で種付けをご覧になったことがあるかたいらっしゃいますか?これは逆に結構いらっしゃいますね、珍しい。

見てもらって分かる通り、すごく激しいです。人間のそれとはまったく異なるくらい、まあ人間でも激しい人いますけどね。それを普通だったら繁殖牝馬連れて行って種馬場で係の人がやってくれるんですけど、それを今うちではボクが種馬を持ってスタッフが繁殖を押さえ、もしくはそこにちょっとニット帽被ったファンキーなお兄さんが入るんですけどその方がお手伝いで種馬を持ってくれる、そのような感じで今やらしてもらってます。

その次がお産なんですけど1月から5月くらいまでの間、これも本当にほぼほぼ未経験の状態だったんですけど、経験をスタッフがやってくれているんで、基本的にすべての馬がお産を終えることが出来ます。

お産を終わったらまた種付けとなってまた同じことになるんですけど、今度生まれた子供当歳というのは基本的にお母さんとしばらく暮らすんですけど、一番最初に第1回で出ていた藤沢さんとだいたいうち飼い方似ていて、基本的には自然のまんま外で飼うようにしています。ボクの場合基本自馬が多いんでそういう飼い方をしていると危なくないかとか事故がないかとか心配される方おられるんですけど、藤沢さんがおっしゃったようにほとんど事故はないです。逆にやっぱりもともと外で生きてた生き物なので、木があればその木陰になんかあれば隠れ、食べたい時に食べ、寝たい時に寝、走りたい時に走る、これが馬の基本的な自然な形態なんで、ボクはそれをできるだけ大事にしたほうが丈夫で精神も健やかかなと馬が育つんじゃないかなと思う中でやっています。まあ賛否両論あり、中には批判される方もいますけど、だからといっていちいち右に左に変えていたらなんにもないので、それはボクも自分の信念を貫いて今も実践中です。

おかげさんで結構ハード調教で有名な新冠の某ビッグレッドファームさんにも、某って名前言っちゃったんで某じゃないんですけどご評価いただいたり、ご購入いただいたりしたりそれも周りの人にとやかく言われながらも自分の信念を貫いた一つの結果かなと思ってます。

それでまあだいたい当歳から1歳を育てて秋口になってくると今度育成なんですけど、人も乗せれない子どもたちを乗せれるように訓練していきます。これが皆さんこの作業を知らない方が多く、結構ね、鞍つけてその辺に乗ってるお馬さんの方を目に映るから、大変な作業だっていうのがあまりわかっていないみたいで、普通に馬に乗って走るよりも一番最初に人を乗せれるようにする段階が一番実は事故、馬も人も一番事故が起きます。一番事故が起きやすいのが、鞍付けて人を乗せるのに腹帯ってあるんですけど、鞍を付ける前に帯だけの道具がありまして、それで帯の圧迫に慣らせるんですけど、そこが基本嫌いな馬が多くそれはちょっと気をつけながらやるんですけど、やっぱりなんだかんだ仔馬といえども一馬力なのでクッてなった時に気持ち悪くて跳ねるんですけどただ跳ねて回っているだけならまだいいんですけど、足ぶん回しながら走ってくやつがいると蹴られて救急車出動!と、いうこともよくあるので育成のこの馴致の段階が基本的に一番命がけだなとボクも自分でもやってるし従業員にもやらせますけど、やっぱりそこが一番危ないと思っているし従業員にも馬にも一番気を配るのは育成の最初の馴致の段階です

その中でちょっとずつ早い仔だったらホントに次の日とかその次の日、3日も4日もあればある程度人を乗せて素直にテクテク歩いてくれるんですけど、中には頑として鞍を受け付けない帯を受け付けない人を乗せることを受け付けない仔には、その馬の様子を見て叱るべきところは叱り、逆になだめるところはなだめ、馬の顔と状況と言葉喋れない生き物ですから人間と違って、それを表情とかそういうので判断しながら慣らして乗せていくようにしています。

 

だいたい進んでくるとだいたい12月いっぱいくらいでその行程がほぼほぼ終わるんでよっぽど身体の弱い子じゃない限り、こうなってくるとだいぶ楽です。人間でも怖がりだったり神経図太い子だったりあるのと一緒で、後はモノ見てびっくりする子とかには引き続き用心しながらちょっとずつ大人の階段を登っていってもらいながら競走馬に向けて仕上げていきますと。それがだいたい春先の5月くらいでうちを卒業していく仔がほとんどなんですけど、やっぱり人間と一緒で奥手な仔はそのまま居残りで今くらいまでいる子もいます。

現在今でも他の仔たちがデビューしていてもまだうちで初期的な訓練を行っている仔も何頭もいます。それでだいたい送り出した時点でうちのお仕事は基本的に終了と。ですのでそのままバイバイと。二度と会うこともありませんと。それが基本的な私たちの1年の仕事の流れです。それだけだとちょっとなんか寂しいなというのがありまして、乗馬とかポニーとかそういうのを置いて、基本的に牧場ってやっぱり閉鎖的な職場なんで外部の人あまり来られないんですけど、ボクは逆に「ウェルカム」いつでも来て下さい。ただお仕事しているので構えません。ポニーちゃんも乗れるポニーちゃんなんで鞍付けられるんだったら勝手に鞍つけて乗ってもらってもかまいません。テクテクしてもらっても構いません。うちは他の牧場と違って車で入ってきて歩いててポニー散歩していても怒りません。むしろそんなんでびっくりするとか危ないとか言ってるくらいだと、その馬自体がよくならないんで、業者さんも配送する時にそこまで気を使わないでどうぞどうぞ行って下さい、電気工事の人もすごい気を使って何時から何時まではやりません、と言いますけどどうぞどうぞやっていって下さい。そういう風に人が来やすくてお馬さん触りながらポニーちゃん触りながら楽しくできる空間を作っていきたいなというのがあります。そうすることでボクもお気に入りの子が卒業していってく寂しさを癒やしている、とそんな感じです。

たまに行った飲み屋で「あれあの子いなくなっちゃって寂しくなったな」ってその飲み屋さんから足が遠のく殿方もおられると思いますけど、そうならないように乗馬とポニーちゃんをかわいがっているというのあります。

 

後、下から2番目に書いてある地方競馬と海外で競馬させてもらってます。木村さん言ったように「30歳までに起業する」じゃないですけどボクは35歳までに地方の馬主免許を取りたい。それは何のためかというと自分が競馬事業に参加することによって競馬全体、馬業界全体に入ってある程度物が言える立場にならないとこの業界全体が上がってこないと思うんですね、ボク働いて最初に思ったのが、まああんまり言いたくないですけど人間使い捨ての業界だなと、あまり長いこと働いていて最終的にハッピーにならないという人が大半を占めているというのを感じました。

そこでボクが思ったのが、起業する一つとしてはせめて自分と一緒に頑張った人はその人が望めばの話ですけど、僕と一緒にずっと働いていければなと、それが馬じゃなくても例えばボクが地方とか海外で馬を使ったときは、例えばボクみたいに山口の生まれの人間は年取ると地元に帰りたいと思うと思うんですよね。うち外国人スタッフがだいぶいるのでフィリピンだったりインドだったりスリランカだったり、海外に各競馬場あって、ないところもありますけど、例えばフィリピンの子だったら日本で働くほうがいいんだけどもう年だし家族も置いてきてるし国に帰りたいなと思った時に、ボクが例えばフィリピンで馬主をやっていることによって何か伝手が出来、何かの拠点例えば馬の業界じゃなくてもフィリピンババナを売る輸入する会社を作っておけば「そこのマネージャーやっておけよ」とかスリランカだったら香辛料だったり、紅茶だったり後今だいぶ外国外資系が入ってきて荒らされているみたいなんですけど宝石の採掘、採掘まで行かなくてもちょっと出てきたものをあるて程度日本に持ってきてもそっちのマネージャーをやればいいじゃないかとか、インドは競馬があるし、厩務員やりたいやつは厩務員やれよと。今マレーシアで馬主やってるんですけどそうしたら国に帰りたい、日本からフィリピンだったら遠い、スリランカだったら遠いけど、マレーシアからインド・スリランカ・フィリピンなら割と近いから里帰りもしやすいという風になれば、マレーシアでボクが馬を使ってるところに厩務員で送り込んだりとか逆に「むしろお前調教師やれよ、そうしたら俺の馬やればいいじゃないか」という風に半、向こうがあんたとは仕事できないからおさらばだと言われない限りは終身雇用という感じでボクも考えて、一緒に働いているスタッフもそういうつもりで働いてくれる環境づくりというのが、今後どの業界もそうなんですけど、働いてる人間と使ってる側の人間がやっぱりそういう風に環境になればなあと思いました。

本当にボク一緒に働いているよくしてくれたおじいちゃんが、ちょっと体調が悪くなると本当にポッと捨てられちゃったですよね。あれ?○○さん、今日からこねえ、ちょっと怪我しただけ、もう来れない。そのように辞めさせられる。ボクの先輩厩務員も腕を骨折しましたと、馬乗れません、職場に居づらくなります、もう馬の業界バイバイします。そういうのをいっぱい見てきたんで、そういうのも1つボクは解消したいなと思っています。

ただ自分の趣味と欲だけでこういう風に地方競馬と海外で馬やってるんじゃないというのが一つなんですよね。またそういう競馬やってると儲かるんだろとか、儲かるからやってんだろとか儲かるんだろと。正直ボク超貧乏人、入ってくるお金毎月全部月末には諮ったかのように消えてなくなります。それでもボクは好きだからやっていける。ただ競馬やっている人=金持ちだとか欲長けてるというイメージを払拭したいというのがあっていろんな例えばツアーやらせてくださいと言われればどうぞどうぞ、全然関係ない馬を置いてくれる人たちでもない馬主さんでもない人が例えばポニーちゃんで会みたいなのがあるんですけど、そういうなのもいつでも来て下さい、好きに見て下さいというのも一つだと思うんですよね。ボク自分が使っている馬が引退したら基本乗馬にしようと思ってやっているんで、その乗馬をある程度乗れるようにして、おとなしくなったら後は全国のセラピーホースとかとして活躍して頂ければその仔の第2の馬生じゃないけどそういうのをやりたいなと考えてやっています。

そのためのシンポジウムとかにも参加してやってます。自分でも何喋ってるのかわからなくなってきたんですけど、話していると昔の辛いことばっかり思い出してくるんで、楽しい話にならないと申し訳ないですけど、やっぱり人間生きていく上で楽しいことばかりじゃないけどボク最終的に言いたいのは、楽しいことばっかりじゃないけど、せめて人生一度きり、なんでもやれないや無理だと思って自分の殻に閉じこもって、やりたいことをやらないで後悔するよりかは、嫌な思いで済ませようと避けて通るよりかは、ボクは自分がやりたいことをやって嫌なことも嬉しいことも全部一括りにして飲み込んで生きていきたいなと思って今これを進めているというのが言いたかったんだと思います。

大した話じゃないですけど、山口から出てきてこうやって牧場をやっている男は、まず第一にたいしてお金が儲かっていないということと、夢とお金が伴えばもっと幸せなんでしょうけどまだまだ本当の意味では幸せではないですけど、でもお金がなくてもボクは日高に来てこうやらせてもらってることがありがたいし、北海道にボク感謝してますし、今後もそういうようなことをやっていきたいなと思っています。

後これが全然また余談の話なんですけど、私なんで好きなことをやっているかというと、言ったようにまだ私お金持ちではありません。ただ好きなことをやってれば頑張れるんで、いつかボクはお金持ちになれるんだろうと思って頑張ってます。私がお金持ちになった暁にはボクは、次は死ぬまでに総理大臣になってようと思ってますんで、そしてこの北海道を、日本をよくしようと思ってますんで、まあ見渡す限り私が国会議員になる頃には選挙権があっても選挙に来られない方が多いかもしれないですけど、子々孫々に村上という面白い子が新冠にいるからよ、お前選挙できるなら投票できるなら一票投じてやってくれっていうPRも兼ねてこの話を締めさせていただきたいと思います。どうもご清聴ありがとうございます。

 

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